2010.10.11 Mon 03:33
特になにを伝えたいわけでもないのだけれど、形にしておきたいと思ったのでここで。
ここは自分しか見てないんですけど。ツイッターでは書けない類だしね。
今日、部屋の掃除をしていて、大学の時におばあちゃんからもらった手紙を見つけました。
いや、持ってることは覚えていたのですけど。
私はもう京都に行けませんが、いっぱい見聞を広げてください
みたいな内容。
やっぱり、今でもまともに考えると涙が止まらんです
今の生活、悲しみがすべてを占めているわけではなくて
もちろん楽しいことやうれしいこともたくさんあるのだけれど、
ちゃんと考えたとき
あれからの数日間と今までのこと、思い返すと今でもやっぱり悲しくて泣いてしまう。
おばあちゃんからすれば泣いていないで笑っていて欲しいのかもしれない
けれど、
私だっていつか悲しみが記憶から薄れることもあるだろう
ずっと覚えていられる自信というものもないし。
私が考えたいと思ったとき たとえそれが悲しくても無駄じゃないし悲しんでいいと思うので
自分が考え始めたときはためらいなく、泣こうかなと思います
忘れる前に 順番に あの時の出来事や記憶を書いておきたい。
知らせを受けたのが、17日金曜日の14時台。
制服のポケットで携帯が鳴っていたので、相手を見ると叔母さん
この時点でちょっと嫌な予感はしました だって普段叔母さんから 特に用事もなく着信ってあまりない
でも仕事中で気軽には出れなかったので、そのまま すぐに次は従姉妹から着信があって
これはちょっと 緊急だわこれと思って 事務所を出て電話に出て
従姉妹が出たけど、すぐに叔母さんにかわって
そこでまず、伝言を聞いたかどうかを聞かれ、1回目の着信で伝言あったと気づいてなかった私は
聞いてない と答えると
おばあちゃんね、亡くなったから
と、告げられました
詳しいことはまだ叔母さんにもわからない、とのことで
とりあえずうちの家族には私から連絡するから、といって電話は終了。
あとは仕事中だったのだけど、直属の部長と総務の部長に事情を説明して家族に連絡を取って
1時間早く仕事を切り上げて、16時に帰社、母親と合流。
その日は飲み会の予定があって車が会社になかったので迎えに来てもらった。飲み会も中止
帰りに礼服を用意して、少なくとも連休中は向こうに滞在するので用意をして、
帰宅して父と合流、ひとまず私と母親だけで家を出たのが19時過ぎ。
高速降りてから迷ってしまって、ついたのは0時半くらいだったかなあ
ちょうど長兄がこの連休で東京に転勤で東京へ来ていたので合流。
終電に間に合わないので朝一で帰るということで。
本当は通夜も葬儀も出たいけど、引っ越し然り日程が空けられないから今日だけでも来たとのこと。
叔母さんと従姉妹と叔父さんとも合流。
どう亡くなったのかとか、聞きたかったのだけど夜も遅いということもあって保留で
ひとまず18日が湯灌・納棺で20日が通夜 21日が葬儀・告別式と日程だけ確認して本日は解散。
このあと、母と私は兄からおばあちゃんの亡くなった状況を聞きました
命日は、16日。
15日と17日にヘルパーさんが来る日で、16日がお風呂サービスの日。亡くなったのは、その日のようですね。
17日に発見されて連絡がきたということだね
18日は朝一、何時だっけ7時前くらい?に兄を送って、そのまま会社に詳細を連絡。
同居してない親族の葬儀に香典は出せないけど、弔電なら打つよと言われましたが
家族葬ですし、休日あけすぐなのでお断りして
そのあと葬祭センターに行って湯灌・納棺の儀の立会いへ。
立会いは順番に伯父さん・母・叔母さん・叔父さん・私を含めた従姉妹が3人。
前日に従姉妹がおばあちゃんの顔を見たそうなのだけど
その時よりずいぶんと顔色は良く?なっていたみたいです。そういう生体学?っぽいことは私はよくわからない。
で、湯灌をしていったん退席し、死化粧をしてもらってまた入室。
めちゃくちゃきれいになってました 正直ものすごく驚いた
普段すごく化粧してるっていう人ではなかったから、それはもう
正直こんなきれいにしてもらってすごく嬉しかった
で、みんなで納棺。死装束をぜんぶ着せて、この時点で一緒に入れたいものは入れて。
このときはじめて?といっていいのかな
顔をみて 装束を着せるときに触ってはじめて 冷たくなっているおばあちゃんを目の当たりにして
ああ 逝ってしまったのだ と はじめてそこで泣いた気がします
次の日、幸いというのかなんなのか1日空いたので。
たしか友引が重なって連休中に葬儀までいけなかったという事情だったはず。
母と叔母さんと伯父さんで片づけと遺品整理。写真多い。着物もいっぱい。
私もおばあちゃんに着物を仕立ててもらいたかった。今でも着れるサイズのやつ。母が羨ましい、ここは。
20日が通夜。
私と従姉妹が受付で担当。父と次兄と叔父さんとこの従姉妹?はこの日から合流。
家族葬だしひっそりと予想していたのに、思ったより人がたくさん来てくださって
イスが足りなくなった。始まったら受付は入れるはずだったのだけど、人が途絶えなくて残り。
なにより叔父さんの関係者が多くて 警察ってのがあってちょっと体こわばってしまったり。
焼香の時だけ入って、したらまた受付に戻ってくださいとのことだったので焼香のみ参加
本当は二人で戻る予定だったのだけど、従姉妹が焼香で相当泣いていたので
私だけで受付に戻った方がいいかと思って 私だけ退室してモニターをずっと見ていました
ちょっときたけど、そこまで涙は流れませんでした
ぶわっと実感するときと、そうでないときがあるみたいです
21日が葬儀・告別式。
こちらはちゃんと参列できました
前日までに、遺言書はなかったけれど遺言ぽく残せるノート?みたいなやつを見つけていたので
そこに書いてあった、水色の着物を告別式の時に一緒に入れました
お気に入りで、確か昔に「着物好きなだけもらっていいよ」と言われたときに
なんかの着物だけは特別だからダメって言われたことがあるから、たぶんこの着物のことだったのかと思います
ここからが一番つらかった。めっちゃ泣きまくってた。告別式から骨を骨壺に入れるまで。
たぶん生花?みたいなのを、告別式の時に近親者が棺に入れるんだけど
顔にさわることができて。あと、私の卒業式の写真を入れてもらえて。
おばあちゃんの顔をなでて、この時がもう限界でした
最期のお別れなんだ、このあと棺をしめてもうこの顔をそのまま見るのはないんだって、
もうおばあちゃんは写真や記憶でしか顔を見れないのだと思うともう駄目だった
家族もいたけど、泣き顔なんて見せるのは嫌だけどそんなことどうでもよかった
ただ本当に悲しくて悲しくて。この数日で一番泣いてた。
馬鹿だよ。愚かな考えなんだけど
どこかであの体はまだ動いてもいいなって 体があるから そういう希望みたいな光みたいなものがあった
でもこのあともう 骨になって 最期のお別れって その言葉が一気に来たみたいな感じだったの
このあと、みんなで釘を打って、火葬場へ。バスの中でも時々涙が出た。
割と焼香とか儀式的な時以外はみんな普通にしてるんだけど。笑ったりも普通に。
でもやっぱりどこかで涙が出てくるみたいなかんじ。
火葬場について、焼き場の前までいって。
おばあちゃんの入った棺は炉の中へ入っていきました。そこでもお焼香。ボロ泣き。
たぶんこの数日で私と従姉妹の女の子2人が一番泣いていた自信があります・・・
焼いている時間は1時間くらいだった気がします
待合室にもいたけど、ほとんど喫煙所。吸ってたし、空見たり、そこから見えるお墓参りの人を見てたり。
馬鹿みたいな発想だけど外にいた方が、肉体がなくなっていくおばあちゃんに近い気がしただけです
最近の火葬場は煙でないって知ってるけど、なんか。外に出ていくみたいな気がするから。
終わって、出てきたおばあちゃんは本当に骨で、あとペースメーカー。
子供である叔父さんとか母とかその辺には、その形状が残ったまま部位の説明をしていました
悲しい、今でもあの光景は悲しいのだけど
私の頭にあるおばあちゃんとあの骨が同一だと思えないような気分でした
実感がわかない、という感じかなあ でもあれは紛れもなくおばあちゃんなんだよね。
数日前までは息をしていたはずの。儚いな、あっけないなと思いました
そのあと2人一組で骨壺に骨を入れるやつ。
この時にはもう上半身と下半身に分けてまとめられてて、どこがどの骨とかは分からなくなってたけど
従姉妹の女の子と一緒にやった。できるだけ大きな骨をうちらで入れよう!っていって
どこかわからないけれど、入れました
頭は終盤、確か一番最後に入れたのが喉仏だった気がします。順番があるのかね。
身内だからなのか知らないけど、いわゆる骨の姿を見ても怖さみたいなのって無いものですね
すごく、空虚感みたいなものはあったけど。
そのあと、葬祭センターに戻って精進落としをやって、終わり。
納骨は10月の最後に。四十九日でやるんだね。
帰ってきて、17時くらいかな?におばあちゃん家を出て、途中で高速の事故渋滞に巻き込まれて、11時くらいに帰宅でした
細かいこと、伯父さんたちに任せる形になってしまって申し訳ないなあ。
こういうときうちみたいな遠方の親族は申し訳なさでいっぱいです
悲しいとか、そういうのもあるけれど
これで、四十九日にまたおばあちゃん家に行くけれど
おばあちゃんの家で過ごすのはもう最後なんだと思うと、さみしい。
私にとっておばあちゃんの家はあそこしかないし。
きっと、すぐに売られるか壊されるんだろうなと思うとね。
おばあちゃんが亡くなったら、もうあの家の所有問題に兄弟達は口を挟まない
もう決めていたことだけど。さみしいって思ってしまうのも本当。仕方ないことなんだなあって。
毎年、お正月にみんなでおばあちゃん家に集まって過ごすことってもうないんだって
さみしいけど、いつか来ることだったから、割り切らないといけない。
書きながらこれすでにめっちゃ泣いてるけど、すっきりした
落ち着いたときにノートに写そう。タイピングの方が早くかけるからいいけど
紙に残したいし。ひとまずここで。
気に入っていた着物と(たぶんあってるよね、あの水色ので・・・)
昔のも最近のも含めた写真をたくさんもって
一緒に旅立って行ったから
さみしく過ごさなくて済むよね?と 思いたいです
よしゃー また明日からがんばるよ
ここは自分しか見てないんですけど。ツイッターでは書けない類だしね。
今日、部屋の掃除をしていて、大学の時におばあちゃんからもらった手紙を見つけました。
いや、持ってることは覚えていたのですけど。
私はもう京都に行けませんが、いっぱい見聞を広げてください
みたいな内容。
やっぱり、今でもまともに考えると涙が止まらんです
今の生活、悲しみがすべてを占めているわけではなくて
もちろん楽しいことやうれしいこともたくさんあるのだけれど、
ちゃんと考えたとき
あれからの数日間と今までのこと、思い返すと今でもやっぱり悲しくて泣いてしまう。
おばあちゃんからすれば泣いていないで笑っていて欲しいのかもしれない
けれど、
私だっていつか悲しみが記憶から薄れることもあるだろう
ずっと覚えていられる自信というものもないし。
私が考えたいと思ったとき たとえそれが悲しくても無駄じゃないし悲しんでいいと思うので
自分が考え始めたときはためらいなく、泣こうかなと思います
忘れる前に 順番に あの時の出来事や記憶を書いておきたい。
知らせを受けたのが、17日金曜日の14時台。
制服のポケットで携帯が鳴っていたので、相手を見ると叔母さん
この時点でちょっと嫌な予感はしました だって普段叔母さんから 特に用事もなく着信ってあまりない
でも仕事中で気軽には出れなかったので、そのまま すぐに次は従姉妹から着信があって
これはちょっと 緊急だわこれと思って 事務所を出て電話に出て
従姉妹が出たけど、すぐに叔母さんにかわって
そこでまず、伝言を聞いたかどうかを聞かれ、1回目の着信で伝言あったと気づいてなかった私は
聞いてない と答えると
おばあちゃんね、亡くなったから
と、告げられました
詳しいことはまだ叔母さんにもわからない、とのことで
とりあえずうちの家族には私から連絡するから、といって電話は終了。
あとは仕事中だったのだけど、直属の部長と総務の部長に事情を説明して家族に連絡を取って
1時間早く仕事を切り上げて、16時に帰社、母親と合流。
その日は飲み会の予定があって車が会社になかったので迎えに来てもらった。飲み会も中止
帰りに礼服を用意して、少なくとも連休中は向こうに滞在するので用意をして、
帰宅して父と合流、ひとまず私と母親だけで家を出たのが19時過ぎ。
高速降りてから迷ってしまって、ついたのは0時半くらいだったかなあ
ちょうど長兄がこの連休で東京に転勤で東京へ来ていたので合流。
終電に間に合わないので朝一で帰るということで。
本当は通夜も葬儀も出たいけど、引っ越し然り日程が空けられないから今日だけでも来たとのこと。
叔母さんと従姉妹と叔父さんとも合流。
どう亡くなったのかとか、聞きたかったのだけど夜も遅いということもあって保留で
ひとまず18日が湯灌・納棺で20日が通夜 21日が葬儀・告別式と日程だけ確認して本日は解散。
このあと、母と私は兄からおばあちゃんの亡くなった状況を聞きました
命日は、16日。
15日と17日にヘルパーさんが来る日で、16日がお風呂サービスの日。亡くなったのは、その日のようですね。
17日に発見されて連絡がきたということだね
18日は朝一、何時だっけ7時前くらい?に兄を送って、そのまま会社に詳細を連絡。
同居してない親族の葬儀に香典は出せないけど、弔電なら打つよと言われましたが
家族葬ですし、休日あけすぐなのでお断りして
そのあと葬祭センターに行って湯灌・納棺の儀の立会いへ。
立会いは順番に伯父さん・母・叔母さん・叔父さん・私を含めた従姉妹が3人。
前日に従姉妹がおばあちゃんの顔を見たそうなのだけど
その時よりずいぶんと顔色は良く?なっていたみたいです。そういう生体学?っぽいことは私はよくわからない。
で、湯灌をしていったん退席し、死化粧をしてもらってまた入室。
めちゃくちゃきれいになってました 正直ものすごく驚いた
普段すごく化粧してるっていう人ではなかったから、それはもう
正直こんなきれいにしてもらってすごく嬉しかった
で、みんなで納棺。死装束をぜんぶ着せて、この時点で一緒に入れたいものは入れて。
このときはじめて?といっていいのかな
顔をみて 装束を着せるときに触ってはじめて 冷たくなっているおばあちゃんを目の当たりにして
ああ 逝ってしまったのだ と はじめてそこで泣いた気がします
次の日、幸いというのかなんなのか1日空いたので。
たしか友引が重なって連休中に葬儀までいけなかったという事情だったはず。
母と叔母さんと伯父さんで片づけと遺品整理。写真多い。着物もいっぱい。
私もおばあちゃんに着物を仕立ててもらいたかった。今でも着れるサイズのやつ。母が羨ましい、ここは。
20日が通夜。
私と従姉妹が受付で担当。父と次兄と叔父さんとこの従姉妹?はこの日から合流。
家族葬だしひっそりと予想していたのに、思ったより人がたくさん来てくださって
イスが足りなくなった。始まったら受付は入れるはずだったのだけど、人が途絶えなくて残り。
なにより叔父さんの関係者が多くて 警察ってのがあってちょっと体こわばってしまったり。
焼香の時だけ入って、したらまた受付に戻ってくださいとのことだったので焼香のみ参加
本当は二人で戻る予定だったのだけど、従姉妹が焼香で相当泣いていたので
私だけで受付に戻った方がいいかと思って 私だけ退室してモニターをずっと見ていました
ちょっときたけど、そこまで涙は流れませんでした
ぶわっと実感するときと、そうでないときがあるみたいです
21日が葬儀・告別式。
こちらはちゃんと参列できました
前日までに、遺言書はなかったけれど遺言ぽく残せるノート?みたいなやつを見つけていたので
そこに書いてあった、水色の着物を告別式の時に一緒に入れました
お気に入りで、確か昔に「着物好きなだけもらっていいよ」と言われたときに
なんかの着物だけは特別だからダメって言われたことがあるから、たぶんこの着物のことだったのかと思います
ここからが一番つらかった。めっちゃ泣きまくってた。告別式から骨を骨壺に入れるまで。
たぶん生花?みたいなのを、告別式の時に近親者が棺に入れるんだけど
顔にさわることができて。あと、私の卒業式の写真を入れてもらえて。
おばあちゃんの顔をなでて、この時がもう限界でした
最期のお別れなんだ、このあと棺をしめてもうこの顔をそのまま見るのはないんだって、
もうおばあちゃんは写真や記憶でしか顔を見れないのだと思うともう駄目だった
家族もいたけど、泣き顔なんて見せるのは嫌だけどそんなことどうでもよかった
ただ本当に悲しくて悲しくて。この数日で一番泣いてた。
馬鹿だよ。愚かな考えなんだけど
どこかであの体はまだ動いてもいいなって 体があるから そういう希望みたいな光みたいなものがあった
でもこのあともう 骨になって 最期のお別れって その言葉が一気に来たみたいな感じだったの
このあと、みんなで釘を打って、火葬場へ。バスの中でも時々涙が出た。
割と焼香とか儀式的な時以外はみんな普通にしてるんだけど。笑ったりも普通に。
でもやっぱりどこかで涙が出てくるみたいなかんじ。
火葬場について、焼き場の前までいって。
おばあちゃんの入った棺は炉の中へ入っていきました。そこでもお焼香。ボロ泣き。
たぶんこの数日で私と従姉妹の女の子2人が一番泣いていた自信があります・・・
焼いている時間は1時間くらいだった気がします
待合室にもいたけど、ほとんど喫煙所。吸ってたし、空見たり、そこから見えるお墓参りの人を見てたり。
馬鹿みたいな発想だけど外にいた方が、肉体がなくなっていくおばあちゃんに近い気がしただけです
最近の火葬場は煙でないって知ってるけど、なんか。外に出ていくみたいな気がするから。
終わって、出てきたおばあちゃんは本当に骨で、あとペースメーカー。
子供である叔父さんとか母とかその辺には、その形状が残ったまま部位の説明をしていました
悲しい、今でもあの光景は悲しいのだけど
私の頭にあるおばあちゃんとあの骨が同一だと思えないような気分でした
実感がわかない、という感じかなあ でもあれは紛れもなくおばあちゃんなんだよね。
数日前までは息をしていたはずの。儚いな、あっけないなと思いました
そのあと2人一組で骨壺に骨を入れるやつ。
この時にはもう上半身と下半身に分けてまとめられてて、どこがどの骨とかは分からなくなってたけど
従姉妹の女の子と一緒にやった。できるだけ大きな骨をうちらで入れよう!っていって
どこかわからないけれど、入れました
頭は終盤、確か一番最後に入れたのが喉仏だった気がします。順番があるのかね。
身内だからなのか知らないけど、いわゆる骨の姿を見ても怖さみたいなのって無いものですね
すごく、空虚感みたいなものはあったけど。
そのあと、葬祭センターに戻って精進落としをやって、終わり。
納骨は10月の最後に。四十九日でやるんだね。
帰ってきて、17時くらいかな?におばあちゃん家を出て、途中で高速の事故渋滞に巻き込まれて、11時くらいに帰宅でした
細かいこと、伯父さんたちに任せる形になってしまって申し訳ないなあ。
こういうときうちみたいな遠方の親族は申し訳なさでいっぱいです
悲しいとか、そういうのもあるけれど
これで、四十九日にまたおばあちゃん家に行くけれど
おばあちゃんの家で過ごすのはもう最後なんだと思うと、さみしい。
私にとっておばあちゃんの家はあそこしかないし。
きっと、すぐに売られるか壊されるんだろうなと思うとね。
おばあちゃんが亡くなったら、もうあの家の所有問題に兄弟達は口を挟まない
もう決めていたことだけど。さみしいって思ってしまうのも本当。仕方ないことなんだなあって。
毎年、お正月にみんなでおばあちゃん家に集まって過ごすことってもうないんだって
さみしいけど、いつか来ることだったから、割り切らないといけない。
書きながらこれすでにめっちゃ泣いてるけど、すっきりした
落ち着いたときにノートに写そう。タイピングの方が早くかけるからいいけど
紙に残したいし。ひとまずここで。
気に入っていた着物と(たぶんあってるよね、あの水色ので・・・)
昔のも最近のも含めた写真をたくさんもって
一緒に旅立って行ったから
さみしく過ごさなくて済むよね?と 思いたいです
よしゃー また明日からがんばるよ
2010.07.05 Mon 02:25
どんどん
1歩ずつ
臆病に空っぽになっていく感覚
いけないなあ
もっと心を強くもたないといけないな
夜になるといつもそんな感覚になる
チャットで紛れるときもあるけど最近は常に横にいて
無駄だ って、待ち構えてるかんじがする
私は色んなことを望んでいるけれど
やっぱりわがままで
そんなのは求めちゃいけないんだ
求めたらその瞬間に失ってしまうから
苦しいのかな
笑うしかないし
しんどいなあ………
1歩ずつ
臆病に空っぽになっていく感覚
いけないなあ
もっと心を強くもたないといけないな
夜になるといつもそんな感覚になる
チャットで紛れるときもあるけど最近は常に横にいて
無駄だ って、待ち構えてるかんじがする
私は色んなことを望んでいるけれど
やっぱりわがままで
そんなのは求めちゃいけないんだ
求めたらその瞬間に失ってしまうから
苦しいのかな
笑うしかないし
しんどいなあ………
2010.07.04 Sun 02:36
もう
なんなんだろ
ここ最近毎晩泣いてるし
意味わかんないし
いや意味っていうか分かってるんだけどさ
自業自得なんだよ ほんと
昔私の座右の銘って自業自得なんじゃないかとふと考えたことあるけど
思いつくのがそれだったからだよなあ
ツイッターにも書けないし
元々落ち込んだようなツイート書いて
ああ こいつ暗いなって
そういうのも怖いし
いろいろいっぱい怖すぎるよ
だから私は笑うことしか表にださない選択肢を選んだんだな
今度、いつになるか分からないけど
たみおさんにもしまた会うことがあったら
ちゃんと、ありがとうと言いたい
言うために会いたいとも思うけど
でもそれは私の一方的なわがままだからね
つまりは快楽本能で自己顕示欲で自分以外に全く無関係なんだ
関係を自分から切ることはしない
私に関わってくれたひとは
そのひとの人生の少しを、なにもない私と関わることに使ってくれたひとだから
何もないんじゃなくて、何もしてこなかっただけだ
やっぱり自分に跳ね返るんだ、行動は
今からでもがむしゃらになんでもいいからやったらいいのかな
前にゆかと飲んで性格微妙に変わったって言われて
そういう性格、キャラを選んで、今試行錯誤してるんだねみたいなことを言われて
確かに色々迷いながら色んな生き方試してるのかもしれないと思った
どの歩き方が一番私にとって良いのかを私は探してるのかな
なんなんだろ
ここ最近毎晩泣いてるし
意味わかんないし
いや意味っていうか分かってるんだけどさ
自業自得なんだよ ほんと
昔私の座右の銘って自業自得なんじゃないかとふと考えたことあるけど
思いつくのがそれだったからだよなあ
ツイッターにも書けないし
元々落ち込んだようなツイート書いて
ああ こいつ暗いなって
そういうのも怖いし
いろいろいっぱい怖すぎるよ
だから私は笑うことしか表にださない選択肢を選んだんだな
今度、いつになるか分からないけど
たみおさんにもしまた会うことがあったら
ちゃんと、ありがとうと言いたい
言うために会いたいとも思うけど
でもそれは私の一方的なわがままだからね
つまりは快楽本能で自己顕示欲で自分以外に全く無関係なんだ
関係を自分から切ることはしない
私に関わってくれたひとは
そのひとの人生の少しを、なにもない私と関わることに使ってくれたひとだから
何もないんじゃなくて、何もしてこなかっただけだ
やっぱり自分に跳ね返るんだ、行動は
今からでもがむしゃらになんでもいいからやったらいいのかな
前にゆかと飲んで性格微妙に変わったって言われて
そういう性格、キャラを選んで、今試行錯誤してるんだねみたいなことを言われて
確かに色々迷いながら色んな生き方試してるのかもしれないと思った
どの歩き方が一番私にとって良いのかを私は探してるのかな
2010.06.23 Wed 14:00
この調子だと嫌なやせ方になってしまう‥‥お腹も空くし食べるのは嫌じゃないけど食べる気がおきない
鳴ったり、気になったり。仕事の邪魔にならないために食べるし
家族の前ではさすがに食べるけどさいきん ご飯 というものは食べないな‥
まあ今昼食が済んだわけですが
気持ち悪い な なんか
いや迷惑になるとかそういう羽目はしないよ絶対
鳴ったり、気になったり。仕事の邪魔にならないために食べるし
家族の前ではさすがに食べるけどさいきん ご飯 というものは食べないな‥
まあ今昼食が済んだわけですが
気持ち悪い な なんか
いや迷惑になるとかそういう羽目はしないよ絶対
2010.06.22 Tue 00:02
きっつい
でもがんばるのです
某オフにいってきました 色んな感情を得たと本当に思っています
そして最終的に思ったのは 自分がどれだけ醜いかということだった
人と関わるというのは本当に難しい
他の人にとってそれは難しくなく、考える必要すらないかもしれないけど
わたしにとってそれはものすごく難しい行為でした
本当の気持ちなんて、みんな言う必要ないんだよ
そんな人いないんだよ って
前に言われたことがあります
そうなのかもしれないです
でも自分の気持ちが表現できないことに、わたしが辛くなるのもやっぱり事実かな
私に向けて言っているのではない事は分かっていて それでもあの言葉が忘れられないのは
やっぱり私にとって力のある言葉だったのだと思います
助けてもらって気づいたんです
半分身を乗り出して
少し重心を傾けるだけで
死ねる
薬を飲みまくったら死ねる
正直言って
超簡単なんです
いつでも死ねるんです
だから
生きることが超難しいから
いつでも離脱できる人生を
もうちょっとやってみよう
って思って今まで生きてます
発した本人が何も思っていなくても
私にとって重かった その手段は迷惑がかかるから私は絶対に選ばない
けれどいろんなことを思った
今日のうちに用事を済ませられたのは幸いでした
自分が自覚出来るだけの迷惑をどれだけ排除できるかな
迷惑がかからない生き方なんてできないから せめて意識できたものは出来る限り排除して
どっちに転んでも結局辛い 選べないならもう笑ってるしかない
でもがんばるのです
某オフにいってきました 色んな感情を得たと本当に思っています
そして最終的に思ったのは 自分がどれだけ醜いかということだった
人と関わるというのは本当に難しい
他の人にとってそれは難しくなく、考える必要すらないかもしれないけど
わたしにとってそれはものすごく難しい行為でした
本当の気持ちなんて、みんな言う必要ないんだよ
そんな人いないんだよ って
前に言われたことがあります
そうなのかもしれないです
でも自分の気持ちが表現できないことに、わたしが辛くなるのもやっぱり事実かな
私に向けて言っているのではない事は分かっていて それでもあの言葉が忘れられないのは
やっぱり私にとって力のある言葉だったのだと思います
助けてもらって気づいたんです
半分身を乗り出して
少し重心を傾けるだけで
死ねる
薬を飲みまくったら死ねる
正直言って
超簡単なんです
いつでも死ねるんです
だから
生きることが超難しいから
いつでも離脱できる人生を
もうちょっとやってみよう
って思って今まで生きてます
発した本人が何も思っていなくても
私にとって重かった その手段は迷惑がかかるから私は絶対に選ばない
けれどいろんなことを思った
今日のうちに用事を済ませられたのは幸いでした
自分が自覚出来るだけの迷惑をどれだけ排除できるかな
迷惑がかからない生き方なんてできないから せめて意識できたものは出来る限り排除して
どっちに転んでも結局辛い 選べないならもう笑ってるしかない